最近とても悲しいことがあった。事っていうか私が生まれる前からだんだん悪くなっているからずっと前から続いてたんだけど。きっとそれは私の人生を大きく変えてしまうことだ。

言ってしまえば両親のことで私は慣れていたことだから大丈夫だろうと思っていたんだけど思ったよりも深刻らしい。だから最近とても悲しい。今時片親とか、両親がいない人も多いけどそれが実際にどんどん迫ってくると怖い。そんなこと言ったって今までもほとんど片親みたいなもんだったか。

両親が仲が良かった時期もあったはずなのに私の記憶の中にあるのは小学校の運動会で仕事の前にこっそり来て保護者席の一番端っこに立って少し悲しそうな笑顔で「見に来たよ」って言っていた父とか、いつのまにか3人分の食器を出すのが習慣化してしまったのに気づいた時とか、母が難しそうな書類を一人黙って書いていたこととか、その時に姉と二人で父の部屋に呼ばれたら父が見たことないほど泣いたこととか、そんなことばっかり。もうちょっと楽しい記憶を残してくれてもいいのに神様は意地悪だなあ

 

私はいま家族とすごく離れた場所にいるから他人事みたいに感じるけど。

 

母は私に「ショックかもしれないけどあなたはやっと前を向けて頑張っているし、世渡りが上手だからパパともうまくやってね」と言った。母はよく私のことを世渡りが上手いと言う。確かに私は新しい環境に適応してほどほどにみんなとうまく付き合っていくのが得意なほうだ。でも人見知りだから心を開ける友人はいるかどうか怪しいところだけど。私は心と体が全然直結しない。悲しくてもぜんぜん笑っていられるし心の中では怒っていたり泣いたりしていても表に現れないから。

私にはこの性格父からの遺伝な気しかしないけど。でもあの人は怒るし考えないで手が動くからそこは違うか

 

ああ、これを書いている間にも父からのラインが何件も来てる。めんどくさいなあ。

 

 

 

私の家族はいつまでこの茶番を続けるんだろう。早く終わらせてしまったほうがみんな楽なのに。

 

大体どこの家庭でも何かの問題は抱えているものだ。たとえ今両親が仲良くて幸せな家庭だとしてもそれは私にとって綱渡りのようなすぐに崩れ落ちてしまうものの上に成り立っている。この前読んだ吉本ばななの小説に ”親から絶対的な何かをもらった人” が出てきてきっと私は一生その絶対的な何かはもらえないんだろうなと分かった。悲しくはないけど少し羨ましくなった。

 

 

私は両親を愛しているけどそれは義務的な愛かもしれないし、愛しているのと同じくらい憎い。私がもし両親を選べたなら絶対に違うところに生まれたけどそれでも私の両親は二人しかいないのだ。神様が選ばせてくれなかったのは憎いけどすこーーしだけ感謝してるよ。

 

前に私たちが生まれる前にも母の中に双子の赤ちゃんがいた話を聞いたことがある。お兄ちゃんとお姉ちゃんなのかお姉ちゃんが二人だったのか知らないけどその二人が今を生きていたら何か違っていたんだろうか。でもその二人が生まれていたら絶対に私はいないだろうな。母はもう絶対に双子を育てられないって言ってたし。大変すぎるから。一人だったらよかったのか?そんなことは知らない。もう私たちは双子として二人で生まれてきたんだから関係ない。

 

 

 

 

これを読んで私が悲劇のヒロインぶってるとか思う人がいるかもしれないけど、私はただあと一回ぐらい家族でくら寿司行きたかったな、っていう気持ちを書いただけだよ