2020.3.31 during quarantine

世界中がパンデミックになって学校も閉鎖され、散歩でしか外に出る事が許されていない日々の中で、明日からNetflixで新しいジブリの映画公開されるなあとか最近メイクしてないから肌荒れ治るかなあとかそんな事しか考えていない

 

気付いたら15歳になっていてお気に入りの小説の主人公は永遠に13歳なのにって言っていたあの時よりも時はどんどん流れていく。

でも最近になってこんな自分でもいいかもしれないって思えるようになってきた。前までは太っている自分が嫌で、英語がきちんと喋れない自分が嫌いで、休日にただ家でゴロゴロしてると何かしなきゃって焦って毎日追い詰められていたけど少しだけそんな自分も認められるようになってきた。

ここに来てからも一年以上がたって、去年は本当に文字通り一日一日をなんとか乗り越えていく生活だったけど今は少し余裕ができて、あんなに大人っぽく見えていた友達が実は「あなた達はハイヒールなんて履いたことないから私がはやく歩けない気持ちがわからないでしょ!」なんてティーンエイジャーしか言えないようなセリフを言っていて、ああ、あの子も私もみんなおんなじように15歳なんだって思ったらなんだか笑ってしまった。

 

私もここに来た13歳の時よりもいろんな事が変わって成長したのかもしれない。家族のコンプレックスはいつも抱えながらいるけど、まだ1人で親元を離れるには十分ではない年でもこうやって送り出してくれて両親に感謝しているしたまにはお母さんのご飯が食べたくなる。

この前日本の中学を卒業した。この3年間は本当に怒涛の3年間で、親と社会に反抗しまくって、家からでて環境もものすごく変わって、私自身もとても変わった。今考えると何にも考えないで友達とバカな事だけしていても良かったのかもしれない。でも中学生ってまだ子供で、友達とお喋りする事とおしゃれにだけ夢中っぽく見えるけど実は一人一人いろんなことを抱えていて周りからは見えないけどみんなもがくように思春期のこの時期を過ごしているんだと思う。この年頃って人生でものすごく辛い障害もころっと乗り越えてしまう強さを持っていて、果てしない未来への希望と絶望もあわせ持ってもいて、とてもキラキラしていて、でもまだ中学生で難しいけどすてきな瞬間だなって思った。

 

こんな事を言っていても私はまだ幼くて来年の今頃にはきっと同じように去年の私はまだ幼稚だったって思うことだろうけど今のこの瞬間の思いも残しておいたって良いよね。

 

今世界中が変なウイルスに侵されていて異様な雰囲気だけど世界のみんなが朝のコーヒー一杯に幸せを感じられる世界はいつになったらやってくるのだろう

 

とりあえず生きているだけで本当にえらいし、がんばっているし、もうそれだけで良いのかもしれない

 

2019.12.7

やっっばい もう明後日帰国だ〜ということで久しぶりに文章を書きます。

 

ここに来てからもう1年くらいがたった。今考えてみたら信じられないくらいあっという間に過ぎていったけど、とても辛い時間が多くてたぶん笑っていた時間よりも泣いていた時間のほうが多かったかもしれないな

でもたくさん泣いた分、それに見合うぐらい笑えたのかもしれない

 

最近は時間が解決してくれることも多いことを学んだ。環境が変わるたびに、クラスが変わるたびに辛くて、理不尽な目に嫌というほどあって、クラスメイトに毎日ちょっかいを出されて死ぬほど苦しかったけどでも死ななくて、気づいたら少しだけ毎日が過ごしやすくなった。

 

私は特別だと信じて疑わなかったけどもしかしたら本当は知っていて気づきたくなかっただけかもしれないけど、自分は特別な人ではなくて、ただ少しの分野でよくできて、少しの分野は苦手な普通の人なんだなって実感させられた。

 

きっと今私は思春期だから、どうしようもない感情ばかりが溢れて、誰かに認めてほしくて抱きしめて欲しいけどこの感情は大人になっていったら消えてしまうのだろうか

なんだか変なドラマみたいな言葉だけど私は今この瞬間の子供でもなくて大人でもない私がどんどん遠くなっていくのが怖くて、今この瞬間を手放したくないな、

 

 

 

この一年ほんとーーーーーーに辛くて苦しいことばかりだったけど、私の苦労は私がちゃんとわかっているし本当にがんばった!!たくさん友達できて、みんなが愛してくれてすごく幸せだと思う

「辛いこともあると思うけど頑張れ」なんて言葉はもう言えないけど来年の私もちゃんと泣けてちゃんと笑えて、ちゃんと生き延びられればいいな。

 

 

Be strong

この前頭痛で学校を休んだ後に担当の先生から呼び出されて、もっと強くなりなさいってBe strongって言われた。1ヶ月ぐらい前のことだけどずーっと心のなかに潜んでいる

 

頭痛は目に見えないし、頭痛の辛さがまったく想像できない人も多いのは分かっているけど先生があまりにも私が弱いから、学校に行きたくなかったから休んだんでしょって言っているみたいでとても嫌だったし悔しかった。

時々自分でも頭がいたいのにもしかしたら頭痛じゃなくてただ自分が思い込んでいるだけじゃないのかと思ったりして学校を休んで昼間に家にいる自分を責めたりした。学校に行けたんじゃないかと思ったりして。そんなの無理なのに。

 

頭痛にもインフルみたいに証明書があったらいいのに。そしたら先生だって理解してくれて私だって罪悪感なく休めるのにな

 

 

 

不登校だった自分がなんで留学するっていうバカみたいにぶっ飛んだ選択をしたのか不思議になる。留学するほうが学校に戻るより何倍も苦しくて辛い思いする事はわかっていたはずなのに。でもそんな選択をできた自分をちょっとだけ褒めてあげたい

留学は孤独との戦いだ。

 

 

私が子供から大人になるのを誰が見守ってくれるのだろうか。この道を選んだのは自分だけど私が大人になっていって、成長していくときに、誰か近くでちゃんと私のことを見てくれる人がいるのだろうか。それとも独りでいろんなことを耐えて大人になるのかな。

私は今の自分の若さがとても儚くて大切にしないといけないものだと思うけど、そんな時に同じくらいの年齢で自分の国で輝いている人を見るとものすごく苦しくなる。

 

 

 

 

なんだかいろいろ書いたけど結局ものすごく辛くて苦しくて哀しくて孤独だ。ばかみたいに。とてつもなく。

私は強くなんてなれないけど誰に弱さを見せていいのかわからなくて。周りから見たら、親から見ても、私は上手くやっているのだろうけど心の中は誰かに抱きしめてほしくって、お疲れさま、頑張ったねって言ってほしいだけ

最近とても悲しいことがあった。事っていうか私が生まれる前からだんだん悪くなっているからずっと前から続いてたんだけど。きっとそれは私の人生を大きく変えてしまうことだ。

言ってしまえば両親のことで私は慣れていたことだから大丈夫だろうと思っていたんだけど思ったよりも深刻らしい。だから最近とても悲しい。今時片親とか、両親がいない人も多いけどそれが実際にどんどん迫ってくると怖い。そんなこと言ったって今までもほとんど片親みたいなもんだったか。

両親が仲が良かった時期もあったはずなのに私の記憶の中にあるのは小学校の運動会で仕事の前にこっそり来て保護者席の一番端っこに立って少し悲しそうな笑顔で「見に来たよ」って言っていた父とか、いつのまにか3人分の食器を出すのが習慣化してしまったのに気づいた時とか、母が難しそうな書類を一人黙って書いていたこととか、その時に姉と二人で父の部屋に呼ばれたら父が見たことないほど泣いたこととか、そんなことばっかり。もうちょっと楽しい記憶を残してくれてもいいのに神様は意地悪だなあ

 

私はいま家族とすごく離れた場所にいるから他人事みたいに感じるけど。

 

母は私に「ショックかもしれないけどあなたはやっと前を向けて頑張っているし、世渡りが上手だからパパともうまくやってね」と言った。母はよく私のことを世渡りが上手いと言う。確かに私は新しい環境に適応してほどほどにみんなとうまく付き合っていくのが得意なほうだ。でも人見知りだから心を開ける友人はいるかどうか怪しいところだけど。私は心と体が全然直結しない。悲しくてもぜんぜん笑っていられるし心の中では怒っていたり泣いたりしていても表に現れないから。

私にはこの性格父からの遺伝な気しかしないけど。でもあの人は怒るし考えないで手が動くからそこは違うか

 

ああ、これを書いている間にも父からのラインが何件も来てる。めんどくさいなあ。

 

 

 

私の家族はいつまでこの茶番を続けるんだろう。早く終わらせてしまったほうがみんな楽なのに。

 

大体どこの家庭でも何かの問題は抱えているものだ。たとえ今両親が仲良くて幸せな家庭だとしてもそれは私にとって綱渡りのようなすぐに崩れ落ちてしまうものの上に成り立っている。この前読んだ吉本ばななの小説に ”親から絶対的な何かをもらった人” が出てきてきっと私は一生その絶対的な何かはもらえないんだろうなと分かった。悲しくはないけど少し羨ましくなった。

 

 

私は両親を愛しているけどそれは義務的な愛かもしれないし、愛しているのと同じくらい憎い。私がもし両親を選べたなら絶対に違うところに生まれたけどそれでも私の両親は二人しかいないのだ。神様が選ばせてくれなかったのは憎いけどすこーーしだけ感謝してるよ。

 

前に私たちが生まれる前にも母の中に双子の赤ちゃんがいた話を聞いたことがある。お兄ちゃんとお姉ちゃんなのかお姉ちゃんが二人だったのか知らないけどその二人が今を生きていたら何か違っていたんだろうか。でもその二人が生まれていたら絶対に私はいないだろうな。母はもう絶対に双子を育てられないって言ってたし。大変すぎるから。一人だったらよかったのか?そんなことは知らない。もう私たちは双子として二人で生まれてきたんだから関係ない。

 

 

 

 

これを読んで私が悲劇のヒロインぶってるとか思う人がいるかもしれないけど、私はただあと一回ぐらい家族でくら寿司行きたかったな、っていう気持ちを書いただけだよ

사랑합니다

防弾少年団を見ていると、自分の人生を少しずつ他人に分け与えていたら本当の自分の人生はあとどれぐらい残っているのかな、と思う。私たちファンは自分の人生の一部が彼らになって彼らから幸せをもらっているけど、その幸せを数えきれない人に与え続けている彼らの仕事はきっと想像もできないほど大変で苦しくて辛いんだと思う。ファンには彼らから幸せをもらうことを自分の意志でやめることができるけど、彼らは終わりがなく永遠に、ずっと、幸せを与え続けるのだろう。でもその分彼らが幸せで、たくさんのファンたちと笑っていられるといいな。

 

私はジョングクが大好きだし、防弾少年団も大好きだ。彼らの青春という言葉をそのまま音楽にしたみたいな切なくて儚い曲も、少し大人になって何かを悟ってしまった彼らの曲も大好き。彼らのダンスが好きだし、紡いでいる一つ一つの言葉も、血がにじむような努力をしているところも、変わっていないようで周りに合わせて少しだけ自分を変えられるところも、不器用でたまに失敗するところも、全部全部大好き。彼らはきっととても弱い。だけど7人になると弱いままでも強くなれた彼らが大好き。

自分がまさかアイドルを好きになるとは思わなかったけれど、彼らは私に誰かの幸せをただ純粋に祈れることを教えてくれた。

 

 

 

 

私はジョングクほど綺麗な人を見たことがない。一見優しそうで笑顔がかわいくて何にも知らない赤ちゃんみたいだけど、その後ろにはたくさんの努力とかたくさんの手放さなければいけなかった事とか世の中の汚い部分を見ても純粋でいようとするところとかが隠れているんだろう。彼はとっても努力家だしかっこいいし性格もいい。だけど繊細できっと傷つきやすいその心も完璧だけど完璧じゃないところが大好き。"いい人間"すぎるのだ。うまく言えないけど。。。とにかくすべてが大好きだし幸せになってほしい。ジョングクのファンに向けた笑顔を見ていると私にも「幸せになって」って言われてるみたい。

 

 

 

 

 

 

それと同時に私は彼らに対してものすごく羨ましくて嫉妬している。似ているようで何か決定的に違うものを持っている彼らと。私にもすべてを分け合える仲間が欲しいし、舞台の上に上がれることも、純粋ですべてを信じていられる心も、努力が報われる世界も。彼らはきっと誰が見ても”特別な人”たちだ。ほとんどの人たちは特別になれた彼らが羨ましくなる瞬間があると思う。少なくても私は。

 

 

 

本当に特別な人たちは自分が特別だとずっと信じていられる心と環境を持っているのかもしれない。誰しもが幼いときは自分が特別な存在だったと思えるけど、大人になって社会の汚い部分を目にするうちに大半の人は自分は特別なんかじゃなくて、ただのみんなと同じ人間だったと思うようになるのだろう。

私はみんながみんな一人残らず特別な存在だと思うけど、自分がそんなに特別な存在かと聞かれたらすぐにハイとは言えない。矛盾してるけど、、

 

 彼ら7人は「防弾少年団」という名前で自分たちが特別で、儚くて、魅力的だと全世界に向けて堂々と証明した。そんな"特別になれた彼ら"が私は羨ましくてたまらないのだ。言葉にできないし”羨ましい”だけの感情じゃないし、言葉ではとても表せないけど。

 

 

 

 私は防弾少年団を愛しているし、尊敬して、嫉妬して、羨ましくなって、でも誰よりも、それが無理だったらせめて彼らの苦しみが報われるくらい、幸せになってほしい。

 

この大勢からの幸せになってほしいという願いは時に彼らの重荷になると思うのはわかっているけど。私はただ純粋に彼らが好きっていう気持ちだけで彼らを応援できていないし、たくさんの彼らに対する感情が時々その感情を抱いた私に向かってきて苦しめることもある。前までは私の武器だったハングリー精神も今は私の鎖にしかなっていないことがどうしようもなく悲しい。 

 

 

 

 

 

 

私は実は誰よりも幸せになってほしいのは彼らではなくて私自身だから。

 

最近生活の環境も変わって、慣れるのに精いっぱいで最初の1か月、2か月はとてもつらい。だけど前より人と笑いあえる時間が愛しくて大切で幸せだと感じる。

 

そんな時に彼らがビルボードで二冠したと聞いた。彼らはその賞に見合うくらい大きくて遠い存在になったし、今までは私の幸せはほとんど彼らといっていいくらい依存していたけど今は私だけの幸せも少しずつ増えてきた。

 

 

 

だから今少しだけ彼らから離れてみようかなあ、と思う。ただそう思っているだけできっと曲は聞くし、MVも見ると思う。Twitterのアカウントも消せないと思うしなあ。彼らがどうやって青春を終わらせるのかとても気になるし。永遠だったらいいな。

 

 

彼らにも幸せになってほしいから私も私が幸せになれる道を見つけられるといいな。

彼らを照らしている星の一つが消えても星空は変わらず満点の星空なんだろうな。誰にも気づかれずにでも流れ星みたいに少し遠くに行って応援しています。

 

 

ごめんね。こんなにもあなた達とは違う欠けているファンで。でも本当に彼らが憎いくらいに大好きなんだ。こんなにきれいな感情を教えてくれてありがとう。私は遠い地球の片隅で頑張るね。

 

 

 

 

 

彼らが笑える時間と、彼らがともに過ごせる時間が少しでも長くありますように。気が向いたら幸せにでもなってみてね。愛しています。防弾少年団

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の中を70%も文章にできた気がしないけど、読んでくれた人がいたらありがとうございました!

あなたに幸せがやってきますように、

Birthday Eve

最近頭が痛くて何日間か寝込んでいて、ふと「ああ、もう一年ぐらい経つんだな」と思った。去年頭が痛くなって学校を休みがちになってそれからいろんなことがあった一年。

 

もうすぐ誕生日が来る。実はあんまり来てほしくないし永遠にこのままでいたい。もう14歳になっちゃうな。私の好きな小説の主人公は永遠に13歳なのに。

 

前までは感傷的な青春をそのまま感情の色にしたみたいな言葉と、その言葉を紡ぐ人の何とも言えない青春の色がきれいでそんな人たちががとても好きだったし、自分でもそんな言葉を紡ぎたかった。だけど最近はそんな言葉よりも青春の中でもがいているような、本人もそれが心地よくていつまでも抜け出さないでいるようなその”人”自体が綺麗だなあと思う。

 

こんな自分の変化に怖くなったしできれば前のままでいたかった。

 

これも自分が成長してるのかな、って思ったりした。

 

だけどどこかで13歳は皆そう思う時期だから、って言葉を聞いて「なんだ、私は普通だったんだ」って思った。世界はおもったよりも大人で私は思ったより13歳だった。悲しいのかほっとしたのかよくわからないピンクと灰色が混ざった感情みたいだった。

 

 

 

 

14歳になったらどうなるんだろう。いきなり一歳ランクアップとかしちゃうのかな。

もっと大人に近づくのかな。だんだんそんなに若いのにねって言われなくなるのかな。もう小さい頃みたいにただ楽しそうだからって理由で何かをしなくなるのかな。

 

もう子供の心でいたらダメなのかな。

私がなりたくないと願ったような大人に近づくのかな。

 

 

 

 

 

昨日、留学から一時帰国で帰ってきて久しぶりに母のおにぎりを食べた。昨日は眠くて何も考えていなかったけど、おいしかったな。

 

この1年で沢山のことがあった。

人生が大きく変わった。

 

 

なんだかよくわからないけど私にとって13歳はとくべつな歳だった。

ああ、もうすぐあと1時間になっちゃう

 

 

13歳になって私の世界に鮮やかな色より暗い色が増えた。

たぶん、私が世界の矛盾に絶望したから。

そして何にもなれない自分にひどく悲しくなったから。私は特別になりたかったんだ。だけどそう思うのは特別なひとなんかじゃなく“特別に憧れた普通の人”なんだって今は知ってる。

 

 

 

もうすぐ14歳になる。

ばいばい、13歳のわたし。

 

 

 

 

 

永遠に13歳のままでいたいなんてちっぽけな私の願いは時計の針が12を指した瞬間砂のように崩れ落ちることを私は知ってる。

 

 

 

 

 

 

 

知ってることが多くなることも怖いなあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の特別な誕生日が誰かの普通の日常でありますように

 

こころのなか

もうここに来てから2か月がたった

眠らなくて泣いた夜も、幸せな気持ちで眠った夜もある

忘れたくない気持ちを自分のために残しておきたい

 

 

ここに来てから来る前よりも感情が忙しくなった。

幸せな瞬間がたくさんあった。ホストファミリーとただご飯を食べている瞬間、私のつたない英語が通じた瞬間、韓国人のクラスメイトが「愛してます」って突然言ったのがすごく可愛かった瞬間、タイ人の友達が日本語で書いた手紙をくれた瞬間、中国人の友達が食べさせてくれた中華料理が凄くおいしかった瞬間、短い時間の間でも溢れるほど沢山ある。

 

だけどもちろん孤独な瞬間もある。数えきれないぐらい。時々夜に孤独と悲しさが混ざった自分でもよくわからない感情に押しつぶされそうになる。誰かに抱きしめてほしい夜なのにそんなときほど自分が孤独なんだと言われているみたいだった。

 

ホストマザーにも会社のスタッフさんからも「普通はホームシックになるのにならなっかたの凄いね」「前の子は泣いてホームシックになってたよ」と言われた。私は心の中で「ホームシックかはわからないけど私も何故だか悲しくなりました。心の中だけで。」って言った。私だって当たり前に皆と同じように孤独を感じたんだよ。どうやって泣けばいいか分からなかっただけ。それだけ。

 

だけど最近自分の中の感情を話せるひとができた。すべての感情を話すことはできないけどそんなとこまでもすべて包み込んでくれるような優しくて綺麗なひとが。もしかしたらこの文章を読んでくれているかもしれないお姉さん。いつか会えた時には抱きしめてほしいし私も抱きしめてあげたいひと

 

 

 

 

すべての瞬間が忘れられなくて大切な私の青春だ。

 

 

いつかこの全ての思い出が美しくなるのかな。それはきっと私が大人になった時なんだろうな。それなら今は少しだけ、まだ子供でいたいかもしれない

 

最近出会った人に年齢を聞かれるたびに”若いね”と驚かれる。自分の年齢が嫌いではやく大人になりたいと思っているのに、”若い”というだけで許されることがおおい今の時にしがみついていたいとも思う。

きっと大人は「そんなことを考えている内はまだまだ子供だ」って言うのかな。それなら私はもっと大人にはなりたくないな

 

 

*少しだけ自分語りするので不快な人は回れ右!

 

 

 

才能について

 

人は33%ぐらいは才能で決まるらしい。生まれ持った才能。それは良くても悪くても決して変えられないもの。

たぶん私は”いい才能”をもっていた両親が私には多すぎる才能を私にくれたんじゃないかと思う。(こんな事を言ったら聞いた人は絶対に不快になると思う。ほんとうにごめんなさい)だけど私には才能を生かせるほどの自分を持っていないし才能を生かす才能を持っていないから、両親からもらった才能だけが私の心と体をおいて歩いていってしまった。

 

今まではわりと上手く自分の才能と付き合っていたのに最近は才能だけが早歩きしてしまって追いつけないな、

数字で表すとある全国模試で10位以内に入ったぐらい。私が以前通っていた塾ではクラスが学力順で双子の姉と初めてクラスが分かれたとき、私はとっても嬉しかったけど素直に喜べなかったのを覚えている。振り返るとこの時から感情表に出せてなくて笑った(笑えません)それから私は塾を変えたのだけどそれからもお母さんと2人だけで話せる迎えの車の中でだけ「テストで1位になれたよ」とか「難しい数学の問題が解けて先生がほめてくれたよ」って心から自慢していた。

 

双子の姉は私と比べられるから勉強したくないと言うし、もちろん母はそれに同情するし、大好きだったダンスも気が付けば親友より前の列でセンターの近くで踊るようになってなんだか気まずくてやめてしまった。

ここまで読むとわかるように私は豆腐メンタルで弱弱な心の持ち主だ。母親から受け継いだ感受性が強すぎて繊細過ぎる心も持っている。そしてそんな貧弱な心なのに対抗心とハングリー精神が人より強いのだ。生きにくさフルコンボ!!!!

 

 こんなことは家族にはもちろん誰にも言えないからここにだけ書いておいておく。

いろんな人から良くできる子なんだからと表面だけを見て言われて将来を期待されるのは少し疲れたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 上手く生きられる方法なんて誰も教えてくれないからまずはこの孤独な夜を乗り越えないと