素直で純粋な少年たち

この前母が「BTSのメンバーは多分みんなとっても純粋でとっても素直なんだね」

と言っていた。ほんとだ。七人ともめちゃくちゃ純粋で素直だ!!そんなこと考えたことがなかった(☚ばか)

 

 

よく考えてみれば、ある先輩の歌を聴いてこんな歌手になりたい!と思ったり、大学生の時にバスでスカウトされてこれも経験になるだろうと思ったり、”防弾少年団”になる少年たちはとてつもなく素直で純粋だ。

 

 

 

私はいま10代だけど周りに歌手になりたい人は一人もいない。それどころか「子供の将来の夢」の定番のサッカー選手や野球選手、作家や芸能人になりたい人も小学校高学年になればみんな考えなくなっていた。私自身も小学校の卒業アルバムで「将来の夢」の項目は最後までなんて書けばいいかわからなかった。結局卒業アルバムでは”公務員””サラリーマン””普通の社員”などの回答もたくさん並んでいた。私の一番仲が良かった友達は”普通の幸せな生活”だった。もしかしたらそれは今の防弾少年団が一番望んでいる夢なのかもしれない。

 

 

 

そんな中でも七人の素直で純粋な少年たちは少しの社会への反抗心を抱えて防弾少年団になったのだろう。私は当時の彼らは”真っ白なキャンパス”だったからその上に防弾少年団としての色を重ねてもとても綺麗だったんだろうと思う。そもそもそんなに純粋じゃなければ厳しい下積み時代を夢のために耐えられなかったんじゃないのかな。

 

 

 

 

 

 

それでもきっと彼らは私たちが思っているよりもずっと大人でたくさん悩んで考えて、成長しているのだろう。だから今(もう過去のことかもしれないけど)防弾少年団の自分と普通の20代の自分との間を行ったり来たりしながら悩んでいるのかなあと思った。airplane pt.2の歌詞でも出てくるように。でも私は誰でも二面性は持ち合わせているものだし、25歳でうまく生きる生き方なんて誰もわかんねえよ!!!と思ってしまうけど。(聞いてません)

 

 

 

 

そんな中でもジンくんはアイドルの自分とキム・ソクジンをしっかり分けて線を引いているように見えて本当に強いなあと思った。ジンくんってなにも考えてなさそうに見えても実は考えていて沢山のことを悟っていそうで少し怖い。防弾少年団になってから一体彼の中でどれほどの決心と涙があったんだろうな。

 

 

 

この前ある授賞式でジンくんが「解散も考えた」と言っていた。ほとんどのアーミーにとって衝撃的な言葉だったと思う。私も今までジンくんはすごく強くて弱音をほかの人の前ではかないような人だと思っていたからびっくりしたし衝撃的だった。だけどその言葉は長男であるジンくんしか言えない言葉だと思ったしきっと一人で言うって決めたんだろうから(周りのメンバーが言うの!?って驚いているように見えた)やっぱり強い人だな!と思った。

 

「去年の3月あたりはとても辛かった」とも言っていた。きっと彼らにとって2018年は普通ではない日々が続いたのかな。賞賛の言葉が増えるほど肩への重荷も増えていくんだろうな。そんな中でも再び7人でいる道を選んでくれて有難いけど少し申し訳ない気持ちもある。

けど!!!私はつらい時に支えあえる仲間がいて、人生を分け合える仲間がいるのが醜いほど羨ましい。結局彼らはシンデレラストーリーを歩いていくから。ファンに7人じゃなきゃ、と思わせる彼らもすごいなあと思う。

 

 

多分彼らは心までも素直で純粋だから人より感受性が強くていつも悩んだり笑ったりと忙しい日々を過ごしているだろうけど、私にはその悩みを理解することも知ることもできないだろうけどいつまでも素直で純粋なままの彼らでいてほしい。

 

 

 

 

真っ白だったキャンパスには今は様々な色が混ざっているんだろうな。でも青春は決してきれいなものではないから。母は「青春なんて30代まで続くよ!青春は絶対にきれいな色じゃないよ。青春は例えば...灰色だよ!」って言ってたから!(再び母登場)

 

 

 

 

彼らのキャンパスが油絵のように色を重ねたら下の色が見えなくなるんじゃなくて、水彩画のようにすべての色が混ざって美しい灰色になってくれたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.1.3

もう2019年か〜〜〜

あっという間だったな。私が2018年にして良かったことは考える時間を作れたことで、悪かったことは考えすぎた事です。今年はちゃんと調節できるようにしないと。

 

とにかく、2018年は人生の休暇を取ってた。何もしていない。

 

去年は今までで1番辛い年だった。良いことよりも圧倒的に苦しくて辛くてもがいていたと思う。でも去年はバンタンに出会えたから本当に良かった!!!!それだけは私を褒めたい!!えらい!

 

2018年何した?って聞かれたら一番に出てくるのは毎日泣きながらバンタンの曲を聴いていたことだ(文字にすると重い)その時はtomorrowとかfor youとか바다とかを聴いていた。今はそこらへんの歌は苦しくなるからあまり聴けないけど。バンタンに限らず音楽に助けられた年でもあった。

 

 

 

 

 

私はもう明後日から留学に行く。まだぜんぜん実感がわかないけど…

 

こないだ母に「この家から一番最初に出ていくのは(本名)だったかー。早かったね。」と言われてそっか。私はこの家から出て行くのかと今さら感じた(遅い)

もう当たり前にこの家にただいまと言うことも無いし、当たり前にこの家でご飯を食べることも無いんだなと思うと少しだけ寂しくなった

 

 

 

正直、私はまだ辛かった時期から完全に抜け出したわけでは無い

 

そこから抜け出したいから、海外に行く決断を選んだのも理由の一つだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は去年よりも死にたいと思う回数が少ないといいし、泣きながら音楽を聴くより音楽を聴いて幸せを感じられる瞬間が増えたらいいな

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず今の気持ちを吐き出した。

また編集します。酷い文章でごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの2019年が幸せな時間と共にある事を願っています

 

 

“いつか”が来るまで

 

この前久しぶりに日が昇っている時間にリビングの扉を開けたのを見たよ。

 

 

でも、ママが帰って来る時間になったらいつも自分の部屋に戻っていくのも知ってるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はもう紅茶に砂糖を入れなくても飲めるようになったんだよ。前みたいにたくさん砂糖を入れた甘すぎる紅茶じゃなくてもいいんだよ。

 

 

だから「砂糖入れるよね?」って聞かなくていいよ。

 

 

 

 

だけど、まだミルクは入れないと飲めないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

パパが知らない間にコーヒーも飲めるようになったんだよ。

 

パパが知らない間に料理もできるようになったんだよ。

 

パパが知らない間にラムは5分以上待てができるようになったんだよ。

 

 

 

 

 

パパが知らない間にママは消えそうになっちゃったよ。

 

パパしか助けられないって自分でもわかってるくせに、他の人に当たらないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこの家族のカタチのままでいいって思っていたのに、ときどき家族みんなでご飯を食べに行ってる友達が羨ましいんだ。

 

 

あともう一回ぐらいは、家族でお寿司食べに行きたかったな。

 

 

 

 

 

ご飯のお皿を並べるのも、3人分のお皿を並べるのが癖になっちゃったんだよ。

 

時には2人分になることもあるけど、絶対に4人分にはならない事をもう知ってる。

 

 

 

 

ママに普通の家族じゃなくてごめんね。って言われたときはどう返すのが正解だったの?私はこの家族しか知らないから、これが私にとっての普通なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育祭の時も文化祭の時も合唱コンクールの時も、ママと友達の両親がいるところじゃなくて端っこの方から寂しそうに笑って手を振って、「仕事に行く前に寄ったんだ。」って言っているのを見るたびに少し泣きそうになったよ。気づいていたかわからないけど。いつからそんなに寂しそうに微笑むようになったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今よりも太っていたけど、ママに冗談を言って大きな口を開けて笑っているパパのほうが好きだよ。

 

 

そんな笑顔を最後に見たのも、パパに最後に怒られたのももういつなのか思い出せないな。

 

 

 

 

 

小学校の頃は中学生になったらみんなお父さんに嫌なことを言って反抗して、喧嘩するものだと思っていたけどそんなことなかったね。

 

パパは私の父親だけど父親じゃないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時が経つに連れてパパもママもまだ大人になりきれてないのかなあと思うようになってきた。私達が生まれてから両親の関係が悪くなったのは知ってるけど、だからって生まれなきゃ良かったって思えるほど綺麗な心も持っていない。

 

 

 

 

 

ママ、こないだ3人でご飯を食べてるときにまだ13歳なのに達観しすぎじゃない?って言っていたけど私はママにもう少し達観して欲しいよ。

 

 

私がもっと純粋だったら、いろんなことを悟らないで子供らしく居られたら良かったのかな。

 

 

何かをするときや決める時はいつも二人の板挟みになるのは嫌だよ。どっちかの意見に従ったら、どっちかが怒って拗ねるのも目に見えているから。

 

もう少し大人になって。

 

 

 

 

学校で尊敬してる人を聞かれたら「両親です」って答えていたのに、ココロの中ではあの二人みたいにはなりたくないって思っていたんだ。悪い子だね 笑

 

 

 

なにかに反抗してみたくて社会に反抗してみたりもしたんだ。でも私は思ったより小さかった。

 

 

 

 

 

 

正直私はパパとママがとっても憎い。違う親の元に生まれてたらって何回思ったかわからない。だけどそれよりもまだ学生で絶対に親の影響を受けなきゃいけなくて、親に反抗する術を知らない自分の方が憎いし悔しい。

 

 

 

この世界で、両親がいてこんな環境の中で生活できることが幸せなことはもちろんわかっているけれど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか

 

 

 

素直に反抗できるようになって、両親のことをちゃんと愛せて、感謝できるようになりたい。

 

ほんとうは心から両親を嫌いになんてなれないんだってわかっているから。

 

 

 

だから、前みたいに戻って、とは言わないから

今のままでもいいから

 

 

 

 

 

 

 

どうかそのいつかが来るまで崩れないで待っていて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

speak myself

初めてブログを書いてみます〜謎に緊張しますが。

遅ればせながらナムさんが言っていたSpeak Yourselfやろうと思います!ほとんど私自身のことになるのでそこはご了承下さい。

 

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まず私は今13歳の中2。双子の姉がいる。普通の13歳だけどいろいろあって学校に行っていません。いわゆる不登校

 

 

中1までは学校に行って、部活で運動をして、家に帰って、週に何回か塾に通う毎日だった。友達は沢山いたし比較的キラキラした人達の中にいたし、成績も困りはしないような学生だったかもしれない。本当にそこら中にいる女子中学生の1人だったと思う。

 

 

 

皆と同じようにこの都会の早い時間の流れの中で忙しい日々を過ごしていた。

 

 

だけど私は皆と同じように時に休んだり、自分の体に合わせてスケジュールを調節することができなかった。母に「このままだと絶対にいつか疲れるから、何か辞めたほうがいいよ」と言われたけど、私は面倒臭い完璧主義で生きることに不器用なので何をどうやって辞めればいいのか分からずそのまま続けていたら、自分でもわからないうちにだんだん疲れていった。

 

 

 

その当時、というか今も尚だけど私の家の家庭環境は良いとは言えない。特に去年と一昨年くらいはめちゃくちゃだった。母の精神状態が悪かったし、ちょうどその時期から姉が不登校になった。そんな姉を見て、母を見て、自分は絶対に不登校になりたくないと思った。だけど意外とそうなるのは一瞬だった。

インフルエンザの時期に頭が痛くなり、その年は頭痛を伴うインフルが流行っていると聞き大人しく1週間休んだ。周りの友達がインフルから復活していく中、一人だけ頭痛が治らず家で寝ていた。今も頭痛に苦しめられる日々だ。そこから徐々に不登校の道を突っ走っていった、、

 

 

そんなに簡単に人間って折れてしまうものなのか!!やっぱり遺伝か?とにかく、自分では思っていなくてもポキっと折れてしまうものなのでしっかり自分をいたわってあげてください〜!

 

 

 

 

気づかないうちにストレスってたまるもの。

私はストレスの原因を考えてみたら、部活も塾も家族も生活している中の大半がストレスの原因にもなっているものだったのでビックリ!!!した。

 

 

多分ここ1年ぐらいで精神的にとても大変だった。鬱のような状態だったと思う。もともと私はたくさん考えすぎてしまう性格だったのが、学校に行かなくなって一日中考えていた。

なにもない白い部屋に閉じ込められると、人間は5日で精神崩壊し、7日で自殺に至るという話は有名だと思うが、人間考えすぎると病みます。

 

それは似たような経験をした人じゃないと絶対にわからない苦しみだと思う。不登校は甘えだとか、1日中遊べて良いとか言う人もいるけど個人的には学校に行っているときよりも苦しくて辛い。なら学校行けよと思うかもしれないが、それができないから苦しい。1年前までは必死に内申をとって、高校受験の準備をしていたのに。友達は皆学校で活躍しているのに自分はなんで今ここにいるんだろうといつも思う。毎日ベッドで泣いていた。

まだそんなガキが何を。と思うかもしれないが、私はとっっっても辛かったので、ガキなりに悩んで考えた。まだ子供な自分が嫌で早く大人になりたかった。子供をバカにしないで、一人の人と見れるような大人に。何よりも両親からの影響を受けたくなかった。早く一人で何でも決められる大人になりたかった。でも、こんなことを思うのは所詮子供だからだなとも思う。

 

 

 

 

そんな時に私は何気なく見ていたテレビで防弾少年団を知り、すぐに沼に沈んだ。アイドルを追うのも、初めてだった。しかも隣の国の。だけどバンタンは辛い時に寄り添ってくれるようで、毎日毎日飽きずに歌を聞いていた。彼らの社会に反抗しているところや、人間味が強いところがとっても好きだ。(好きだ)(好きだ)しかも、バンタンって一人ひとりはそんなに強くなくて臆病なイメージだけど7人になると俺らは無敵!!!社会なんかくそくらえ!みたいに強くなるのも好きです。

 

 

 

 

彼らの魅力を語りだしたら、ブログ1つなんかには収まらないくらい長くなってしまうからこんどまた違うブログで書きたい。(結局ブログで書くのかい!)

 

 

ユンギさんも、鬱というか精神病になったとミックステープで言っていたがその状態からここまでこれたのはほんと〜〜〜にすごいと思うし、やっぱり強いんだと思う。それと同時にユンギさんが、それを乗り越えるときに6人の仲間と一緒に一歩を踏み出せたんだと思うとやっぱり6人の力は偉大だな。私もずっと家に籠もっていて、久しぶりに外に出たときはとても怖かった。周りが自分を見つめている感じがして、怖くて、人が少ないところだけを歩いた。

 

 

 

 

精神病になったりそういう気がある人はアーティストに多くいて、芸術的センスがとても優れているらしい。天才SUGAさんじゃん!!私の姉と母も芸術的センスが爆発しているのですが何で私だけ無いのか気になります。

 

 

 

 

 

私は家にいると自分が変わっていきそうで怖い。母に反抗しないでいい子供でいようと思ってるのに、心のなかではたくさんの感情が渦巻いていて自分を見失いそうだ。状況はよく覚えていないけど、あんまり良くない話をしている時に、姉になんでそんなにいつも笑ってるの?と聞かれて自分でもびっくりしたし、想像以上に心に刺さった。こんなに毎日泣いているのに家族の前では笑っていたんだな、、、とぼんやりと思った。家族の前でも自分を出せないなら私に"意味"が失くなってしまうと思った。

 

 

 

 

 

なので、家族と離れたいし、この苦しさから抜け出したいと思って海外に留学する事にした。(いきなりだな)海外に行ったら、今より孤独になってまた大変なこともあるかもしれないけど少し頑張ってみたいと思う。家族に会いたくなるかもしれない。というか、その気持ちを感じて安心したい。

 

 

 

 

 

死にたいと思わないで、こんな人生もいいかなと思えるくらい大人になりたい。私は今思春期で自分の事で精一杯だなと自分でも思うけど、いつか同じ様に苦しんでいる人がいたらそっと見守れるような人になりたい。好きな小説から言葉を借りるなら、

 

"生き残った子供だけが大人になれる。大人になったものだけがリアリストになれる。そして、リアリストだけが夢を見る。記憶の闇を探ることができる"

 

 

孤独と不安は一生付き合うことになると思うけど防弾少年団の曲を聞きながら、少しでももがいて生きていたい。

 

 

 

幸せとか、よくわからないけどいつか心から笑って幸せだなぁと思える日が来ることを願う。幸せじゃなくても、いつか大切な何かを見つけられるといいな。

 

 

 

 

そして、いつもarmyの幸せを願っているバンタンが幸せでいられるように無力な私も願い続けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくれた方はいるかわかりませんが読んでくれた方、本当にありがとうございます🙏🙏

誰かがSpeak Myselfしてんなーくらいに思っていただけたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが幸せだと感じる瞬間が、心から安心できる瞬間がありますように